数年前にはそんな事はなかったけど、今はもう、我々は自分の頭の切り替えの速度や、細切れの余暇に瞬間的に追従できない道具に苛立ちを感じるようになってきているのではないか、という気がします。
昔だったら、ゲームをしたいと思っても細切れの余暇では何もできず、ゲームをしたいという欲求は蓄積されて『面倒だ』という障壁を越えて据え置き機を起動するレベルに達していましたが、今は細切れの余暇に携帯やiPhoneやDSiやPSPを起動して欲求が満たされてしまうので、それに匹敵するくらい素早く簡単に遊べるようにしない限り据え置き機に未来はないです。ただでさえテレビの前に座らなければならないというハンデがあるのに。ぼえ~んぼえ~んいいながらメーカーロゴなんて表示してる場合じゃないですよ。
昔だったら、ゲームをしたいと思っても細切れの余暇では何もできず、ゲームをしたいという欲求は蓄積されて『面倒だ』という障壁を越えて据え置き機を起動するレベルに達していましたが、今は細切れの余暇に携帯やiPhoneやDSiやPSPを起動して欲求が満たされてしまうので、それに匹敵するくらい素早く簡単に遊べるようにしない限り据え置き機に未来はないです。ただでさえテレビの前に座らなければならないというハンデがあるのに。ぼえ~んぼえ~んいいながらメーカーロゴなんて表示してる場合じゃないですよ。
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ABlog 据え置きゲーム機が生き残るには (via kasei-san) (via tsupo, kuwataro) 2009-05-09 |