昨日、ある中国人企業家に会いました。彼は90年代初期に日本の大手ITベンダーに3年間勤めた後、北京に戻って創業しました。かなり大きな企業に成長し、オフショア業界の顔になっているようです。
話していると彼はインド人の技術者も使っていると分かり、興味半分で「どう?インド人の技術者は」と聞きました。すると彼はまるで日本における中国人の評判のような答えを返してきました。「彼らは話が上手でオーバー。できていないことをできたように見せかけるのがうまい」と。
日本にいた25 年間では、「中国人は話がオーバー。白髪三千丈の世界だから」とよく日本の皆さんから聞かされました。その通りだと思っていましたが、米国には「私はあなたに百万回言った」という表現があり、日本にも「嘘八百」という表現があります。中国、米国の千単位や万単位の誇張に対して日本は百単位の誇張です。しかし、誇張であることに違いはありません。
そもそも表現そのままを正確に伝えるためには同じ背景の存在が必要です。地域、環境と文化が異なる場合、「思った通りに相手に伝えきれていないこと、思った通りのことを相手が言っていないこと」を、伝える側も受け取る側もまず理解すべきです。
同様に日本人同士でも決して言葉の意味が統一している訳ではありません。部下や業者になんでも「大至急」という人がいます。最初は皆びっくりして本当に大至急に対応しますが、そのうち段々とその人の発する「大至急」が、普通の日本語の「大至急」と違うと気付き、ドタバタしなくなります。
「顧客満足度調査」が当てにならない理由もここにあります。「満足」と答えても買うとは限りませんし、不満を言いながらずっと買う場合もあります。そもそも人によって満足の意味が異なるのです。下手すると同じことについて同じ人がタイミングと心情によって異なる評価を下すこともよくあります。奥さんと喧嘩し、上司と口論し、ついでにお財布も無くした人に何を聞いても後ろ向きになってしまいます。
狼少年は本当に嘘づきでしょうか。結局狼が来て村人に被害を与えたのではありませんか。ひょっとすると狼少年はいたずらではなく、本当に狼の気配を感じていたかもしれません。気配を感じられない村人が、結果的に被害を受けていない時に「嘘」と、決め付けたかもしれません。被害がないからと安心していて、本当に狼が来た時に無防備でした。
村人が求めた「狼が来た!」の意味は狼が目の前に居た状態であるのに対して狼少年が気配を感じたときに「狼が来た!」と言ったとすると、同じ言葉ですが、中身が違っているのです。
外交の場でも似た状況がたくさんあります。中国にいるとよく遭遇しますが、真っ赤な顔して大声で言い合い、すぐにでも喧嘩になるのでは、と心配しても、数分後に何も無かったように気楽に談笑している人々。たぶん外交の場で同じ感じで声を上げていると、日本の外交官やマスコミはびっくりするだろうと思います。
当たり前のように毎日使う言葉ですが、コミュニケーションの道具としては実に多くの限界と弊害があります。言わなければ絶対伝わりませんが、言っても伝わらない、かえって誤解されることもよくあります。自他の言葉の限界と弊害を理解してこそ、真のコミュニケーションが存在すると思います。